新しい時代のお茶屋さんづくり
京都・辻利の辻利右衛門さんは五代前の創始者、玉露の製法を完成させた。
日本中に在る「辻利」。九州支店をつくるにあたって「小倉」を選ぶ。常盤橋のたもと、現在の「一丁目の元気」のある場所が小倉での原点。

辻利茶舗が、この小倉にできること
スタンスはローカルに、ビジョンはグローバルに…。生まれ育った魚町の商店街から世界に通用する商品づくり。
お茶屋の危機。ペットボトルや缶ドリンクの台頭。お茶もネットで買える時代。お茶屋にお茶を買いに来る人がいなくなる…。
「おいしい」「おもしろい」「お役に立つ」3つの「お」を店作りの柱に。
「飲む」から「香りを楽しむ」「食べる」まで。
辻利のストアイメージ工学は?グレード感とカジュアル感、新流と伝統、和と洋、都会と地方のバランス。
パブリック性(1)辻利は町の一部である。(2)いろんな人がそれぞれの目的で使う店、「つじる」という言葉が生まれる…
辻利の飲料文化の発信。乾物ではなく「お野菜」。農産物としての茶。「出前セミナー」を開催。
海外のこと。戦前は台北や満州にも出店していた。
親日家の多い台湾での初出店はラッキーだった。「TSUJIRI台北」「TSUJIRIシンガポール」に出店。

京町銀天街について
参勤交代の往還路、長崎街道の起点、歴史ある通り。西日本の要衝、商業・物流の拠点だった京町。
京町銀天街が立ち上がるきっかけとなった「事件」とは。
町を救うには「向こう三軒両隣」「文化的な催事の開催」。歴史性、商店街らしさ、文化催事が必要。

「We Love 小倉」について
夜会以外にも多くの活動。
「まちに行こう!」をテーマに、まちに来てもらう仕組みづくり。
小倉の強みは「活発な市民活動」。夜会を通じて出会った方々とのコラボレーションを続けていく。

自分づくり
今日61歳に…。
踊りや歌、山登りなどはつい最近始めた…。老後に対する趣味が店づくりやまちづくりに影響。自分が楽しくやれることを。

街づくりを成功させる笑顔の要は、女性と若者の登用