WeLove小倉夜会 第四十五夜は、岩永 真一氏(福岡テンジン大学 学長)でした。

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演題は「なぜ博多ではなく天神が栄えたのか?」繋がりが作る街の魅力とは?

岩永さんは、WeLove天神協議会の活動にも主力メンバーとして関わっておられ、小倉にもESDの様々なプロジェクトのコーディネートもしていただき、小倉への馴染みの深い方です。福岡生まれの福岡育ちの33歳。甘いマスクと優しい語りと福岡に対する情熱が伝わってきました。

博多や天神の街づくりの歴史からはじまり、博多のと天神の両極のライバル意識や良い意味での綱の引っ張り合いの話。天神を創った福岡の偉人のお話。今の天神や特に新天町のお話など、WeLove小倉協議会の今後の活動や皆さんおひとりおひとりの街づくりの活動へ、多くのヒントやアイデアをいただけました。

以下 お話の中でのキーワードを綴らさせていただきます

渡辺與八郎のお話 渡辺通りの名の元祖 明治44に一部が開通した博多電気軌道(現在の西日本鉄道の前身の一社)の設置に力をつくした呉服商

そして田中諭吉のお話。戦後の焼け野原 博多商人が天神をよもがえらせた。

暗い世相の中、絞り出した頓智とアイデア、そして溢れる郷土愛で福岡・博多(福博)の街に「元気」を与え、今日に伝わる明るく楽しい福博の行事を創作した。1901年(明治34年)1月29日、博多の川端に生まれ。この4日前には明治の偉人・福沢諭吉が逝去。父親は、かの偉大な人物にあやかろうと、誕生した我が子を「諭吉」と命名。稀代のアイデアマン やがて、自ら「光頭無毛文化財」と称した禿げ頭の有無庵(ユーモア)人・田中諭吉は、新天町商店街の設立、太宰府の曲水の宴、お櫛田さんのお多福面、そして山笠の集団山見せ(一年に一度だけ 那珂川を越え天神に入る)山笠などを企画、実現していく。

 現在の新天町の仕掛け テナント誘致型人工商店街 1業種2店舗制 社員食堂 商店街の商品券 CMソング

天神発展 昭和23年「天神を都心に」をスローガンに、15商業施設が協力体制。「都心界」が誕生

「天神発展」昭和24年に 歳末共同売り出し 北九州 筑豊 筑後迄で宣伝

「天神発展」昭和30年に「天神発展会」が結成、今のWe love天神の前身

「天神発展」天神の象徴 「繋がり」で魅力を最大化する。

Welove天神協議会について

目に見えない繋がり地域を変える力「コミュニケーション」

共に街を創る意識 共に街を守る意識 共に街を活性化する意識

〈現在進行中〉自主財源獲得 公開空地 自販機 ロッカー 駐輪場 駐車場 屋外広告

世界で最も住みやすい25の都市ランキング(MONOCLE)

岩永 真一氏

福岡テンジン大学 学長

集客戦略などの全体設計から、研修や講座などのプログラムなどの設計、プロジェクトや地域活動の企画・設計など、 アイデアとコミュニケーションを組み合わせ、企画やデザインを行うプロデューサー。

1981年福岡市早良区出身のずっと福岡市民。大学卒業後、広告業界での営業・企画を経て2009年に独立。学生時代よりNPO法人グリーンバードに参加をはじめ、福岡打ち水大作戦やWe Love 天神協議会に参画。2009年に独立したのをキッカケに福岡市共働事業提案制度に「福岡テンジン大学」を提案、2010年9月に福岡テンジン大学として開校し学長も務める。学長としての顔以外にも、集客・販売促進の広告プロデュース、九州大学非常勤講師や小中学校での講師、男女共同参画やまちづくり・地域づくりでの講師、ファシリテーターなどを行っている。2012年から福岡市総合計画審議会委員、2013年4月より北九州市立大学の特任教員も務める。