「小倉時代の森鷗外」

明治の文豪である森鷗外(本名:森林太郎)は、1899(明治32)年6月19日から1902(明治35)年3月26日までの約2年10ヶ月を陸軍第十二師団軍医部長として小倉で過ごしました。
軍務に精励する傍らで文筆活動や講演活動も積極的に行っており、1899(明治32)年9月26日付の福岡日日新聞(現:西日本新聞)の紙上に掲載された『我をして九州の富人たらしめば』は、 自身の体験をもとに九州の資産家に対する啓蒙的提言として鷗外の新聞寄稿の中でも最も有名なものです。
また、神官の川江直種、教育者の杉山貞や発明家の矢頭良一など郷土が誇るべき知性派の人びととも交流を深めています。
鷗外が小倉を離任して今年で115年。小倉城内に現存する旧陸軍第十二師団司令部正門跡は、往時の姿を今に伝えています。

※写真は森鴎外が軍医部長を務めた「第十二師団司令部」

現在も小倉城天守閣広場にある「第十二師団司令部」門の跡※天守閣広場整備工事中のため、11月20日現在一般の立ち入りは禁止されています

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