朝日新聞に「清張と辻利とお茶壺道中」について掲載いただきました。

  • 2018/3/6
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先日の朝日新聞に
松本清張さんと辻利について
私が親しんだ短編集の中から「蓆」について
記事を掲載いただきました。

辻利之さん
【日本茶の販売と甘味喫茶の「辻利茶舗」(北九州市小倉北区)会長。アジア、欧州にも店舗を展開。京町銀天街協同組合の理事長を務める。】

松本清張この一作
短編歴史小説 蓆(むしろ)

 

【清張さんは、お茶についてのお尋ねで小倉の当店(辻利茶舗)に何度か来られたそうです。父が生前、話していました。江戸時代の「茶壺道中」を題材に小説を構想され、そのリサーチでした。
こちらで紹介して「本家」にあたる京都の辻利に足を運ばれたのですが、「出てきた番頭さんの話は要領を得ませんでした」と随筆に書かれていて、成果はなかったようです。辻利は茶壺道中に関わりがありませんでしたから。
でも、小説はちゃんとお書きになりました。「蓆」という短編です。京の宇治茶を徳川の将軍家に献上する茶壺道中は、参勤交代の大名行列も道を譲るほど権威がありました。童歌の「ずいずいずっころばし」の「茶壺におわれて、とっぴんしゃん」というくだり。茶壺道中が通り過ぎるまで、街道沿いの人たちが戸をぴしゃっと閉め、息をひそめた様子を風刺的に歌ったと言われています。
「茶と茶器が人より上」という変な尺度があって、迷惑千万に感じる庶民がいた。いつの時代にもある、社会の悪弊や体制側がつくる合理性のない仕組みを、批判的に描いた小説です。
清張さんの書くものは、どれも庶民サイドに立って社会をとらえていますが、その目線が感じられる清張さんらしい小説です。長編が有名ですが「短編の名手」ぶりを発揮した時代物でもあると思います。
清張さんが育ち、働いた当時の小倉は、古い城下町ながら軍都の役割を担い、商人や工場の労働者など様々な人がいた。大作家に上り詰める人物の、物の見方や人格形成に及ぼした影響は小さくなかったはずです。和菓子の「湖月堂」、カメラ屋の「ムラヤ」、「小林時計店」など、清張さんが広告をデザインした店が今も営業しています。
20年前の清張記念館の設立にあたり、北九州青年会議所で民間の支援を盛り上げる担当副理事長を務めました。清張さんをはじめ、ゆかりの文学は北九州市にとって大きな観光資源です。私も国内外の店舗を通じて、巨匠を生んだまちをPRしたいと思います。

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