夜会_ 第六十一夜は 北九州市の文化財を守る会常任理事 菊池 満さん

  • 2015/6/28
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WeLove小倉 夜会 第六十一夜は
北九州市の文化財を守る会常任理事 菊池 満さんでした。
テーマ:小倉市の発展と陸軍造兵廠

明治以降、旧城下町から商業都市、そして軍事都市として発展した郷土小倉の歴史と西日本最大級の軍事工場であった小倉陸軍造兵廠のあゆみをご紹介いただきました。

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昭和55年10月生まれ。北九州市小倉北区馬借出身。おもな著書に「森鴎外 小倉時代の業績」、「北九州市郷土史跡ガイドブック」など。

江戸時代に城下町として発展した小倉は、慶応2年の丙寅御変動(豊長戦争)により小倉城を自焼。香春を経て、藩庁を豊津に移した。
明治維新後、陸軍歩兵第十四連隊が小倉城跡に設置されたのをはじめ、陸軍第十二師団司令部などの軍営が置かれ、小倉は軍事都市として再びの発展を見ることとなった。

大正12年9月1日に発生した関東大震災で、東京小石川にあった陸軍造兵廠東京工廠が被災。陸軍は現地での復興は困難と判断し、移転を決定した。全国で熾烈な誘致合戦が繰り広げられた結果、昭和2年に小倉への移転が決定され、昭和8年に陸軍造兵廠小倉工廠(後の小倉陸軍造兵廠)が開庁した。西日本最大級の軍事工場として最盛期には約5万人(動員学徒・女子挺身隊員を含む)もの人々が兵器の生産などの業務に従事。昭和20年5月、小倉陸軍造兵廠は米軍による都市空襲を想定し、大分県日田市などに分散疎開を決定。その3ヶ月である8月9日、小倉は原爆の投下目標となるも、造兵廠に配備されていた高射砲大隊及び陸海軍航空隊の迎撃、そして前日の八幡大空襲の煙が上空を覆ったため、米軍は小倉への原爆投下を断念した。昭和35年、小倉市市制施行六十周年を記念して小倉大博覧会が旧小倉陸軍造兵廠跡地で開催され、その3年後の昭和38年に北九州市が発足。小倉市は六十三年の歴史に幕を閉じた

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辻 小倉に、若くしてこんなに 凄い小倉郷土史家が存在する事に、只只感激し、小倉の事を伝承していただくキーマンとして
今後ご活躍をいたしたいと思いました。二次会も楽しかったです〜

 

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