WeLove小倉夜会第三十五夜は ラテンサルサバー「エルバリオ オーナーの坂口正人さん と京町銀天街理事長 辻 利之でした。
簡単なサルサのステップとターン それからクロスボディーリード 最後にペアになって、何と!始めての方も、楽しんで踊っていただける程に上達しました。坂口さん 楽しい時間を提供いただき、有り難うございました。
私の方からは、何故?今サルサなのか、自分がサルサをやるのか? 何故「踊って京町プロジェクト」なのか?という所の説明をさせていただきました。
京町は元来、歴史豊かな街でした。参勤交代の往還路 長崎街道の起点 五街道の結節点 藍島の渡船場が近くにありました。紫川には牡蠣船や演芸場 映画館や芝居小屋 大衆芸能が盛んであり、歴史上の人物や文化人が往来した場所であります。明治大正時代 昭和初期と、熱い人情と人や文化が盛んなエリアでありました。
しかし昭和の32年頃小倉駅が、室町(現山田電気)から現在の位置に移動、この京町室町通り(小倉都心部の東西の通り)の通行量が減少してくる。それに対して現小倉駅からの流れから、魚町から旦過市場の南北の通りが、目抜き通りとなっていきます。
その頃から京町通りは、暗く汚く危険な通りに近づいていきます。京町に空き店舗がぼつぼつ出来はじめ、向こう三軒両隣 コミュニティーが少しずつ疎遠になって行くに従い、◯力団の組事務所が知らぬ間に出来ていたり、その黒い車が、真昼間から普通のように横付けされていたり、◯◯ハーブやその他薬物の売買が裏で日常の普通のように行われたり。
そんな京町銀天街を救うには、何をどうすればいいのか?
先ずは、私達の京町の役員さん達を中心に一致団結し運動が始まり、周辺の警察や行政関係所轄に多くの支援をいただき、見事その組事務所を出ていっていただく事になりました。臭いものには蓋を閉める風潮が普通ですが、京町の町衆は勇敢に行動にお越し、見事達成したのです。今から12年前の今年と同じ午年の年末出来事。私が48歳の時であります。
私達京町の人達は、もしこの京町が再び明るい活力の溢れる街に復活するためには、次の三つの事をやって行く事に心掛けました。・文化的な催事を続ける ・人と人とが、交流する(向こう三軒両隣)風土を育てる。・苦手な所は、人に助けていただく謙虚さ であります。
京町のキーワードは、その歴史性・商店街らしさ・ものづくり文化・大衆芸能・歌と踊り・紫川と藍島・人に優しい街・北九州芸術劇場の皆さんや西日本工業大学の皆さんからの応援を仰ぐ等
実際にやって来た事業は限りなく、伊能忠敬の記念碑の建立 常盤橋竹灯篭「千の灯り」 京町寺小屋市民講座 京町風情プロジェクト 京町銀天街のクラフトの装飾 京町川柳 京町茶会 京町の店主が歌う歌 世界でひとつのダンス 一丁目の元気とのコラボ 京町朝市 踊って京町 藍島との交流事業 紫川大歌声喫茶 紫川オープンカフェ 貸しボート復活への参画 京町名物「白玉流し」 京町白玉同好会(ラテン サルサグループ)
今後は、数多くの試みの中で、特に「歌って踊れる商店主の居る商店街」をテーマに、「踊って京町」を育ていきたい
その中のひとつのコンテンツとして、ラテンでした。陽気で明るい雰囲気 元気で活力溢れるサルサでした。食やスポーツや音楽 踊りなどで、ラテンフェスティバルに発展するのも良い事でしょう。京町の広場やアーケードで今回のラテンやキッヅダンスや小倉音頭などジャンルを超え、いろんな踊りが、パフォ(表現)できる商店街。
人の交流がある場所には、「悪」は蔓延らない と確信します。
京町銀天街が活力を保つテーマ。歌って踊れる商店街。まずは自分が、自分達が楽しまなくては〜