今回の小倉情熱人は、林田興産株式会社の専務取締役である林田直子さんにお話を伺いました。

「外に出ているから、私にはより、北九州の良さがわかる」と断言する林田さん。家業の酒店と不動産を営む傍らまちを元気にするために日々奔走しているという。

そんな林田さん、5年前にアメリカより帰国。学生である我々には興味があるのは、なぜに単身アメリカへ留学、そして、仕事をするにいたったのかでした。きっかけは手に職をというキャリア志向であること、そして、強みを会計と目標をたててからは、進学先の大学で英語を専攻していた事と両親からの後押しもあってアメリカへ留学を決意されたそうです。学生の間に資格を取りたい、強みを作りたい。その想いから、日本の大学在学中には大原へのダブルスクール、簿記の資格を取るに至ったと語ってくださいました。それからは、大学で培った英語力と簿記のスキルを活かして、Suffolk University(日本で言うところの大学院)に進学されたそうです。そこで、米国公認会計士(CPA)を目指して、経営学部の会計学を専攻されていたとのこと。学校を出られてからは、監査法人で11年ほど働かれたそうです。

2000年代のシリコンバレーは経済成長が著しい地域であり、その分人の入れ替わりもめまぐるしかったと言います。先週話していた人間が、次の週にはいない…。なんてこともザラにあったとか。そんな中、米国公認会計士を取得し、11年も会計監査人としてアメリカで働かれた林田さん。その仕事の腕は確かなものであったのだろうなと感じます。

そして、数年前に小倉に帰ってきて家業を継がれました。なぜ家業を継がれたのか。それは、タイミングがやってきたと感じたからだそうです。アメリカでの長いキャリアの達成感、父親の病気、そして、家族のために何ができるかと強く感じるようになり、舞台を日本に移す機がやってきたと感じたといいます。カリフォルニア州シリコンバレーで仕事をしていても、小倉祇園太鼓をたたくために仕事が終わってから週末だけ小倉に戻る林田さん。日本への帰国、そして、北九州への帰郷は、帰るべくして戻ってきたのだと感じているといいます。アメリカで働いていた頃とは全く異なる環境ですが、とても充実している、と林田さんは言います。まちに秘めた可能性をどう生かせるか、それと同時に、母の実家でもある林龍平酒造場の小売店として、もっと地酒を地域に根付かせたい。さらには、日本文化や地域の魅力を世界に発信したい。そのためにどうしていくか。そんな事に思いを巡らせ、奔走するのは、とてもやりがいのあることだそう。

また、Welove小倉協議会など地域団体にも多く加入されているそうで、まちおこし活動も精力的にされています。先日行われた紫川フェスティバルや、来たる10月に若松で行われるチャリティーベジタブルマラソンなど、後にも先にもイベントが目白押しです。このような地域活動に参加されている事もあってか、地域とともに育ち、成長していける会社でありたいと語ってくださいました。

そんな林田さんにとって、小倉とはどんなまちなのか。林田さんは間髪入れずに『粋』と答えてくださいました。一生懸命な人が多い。何かが成長しているまち。可能性があって面白みがある。林田さんにとって、小倉とはそのような『粋』なまちだそうです。海外に住んでいたから、まちのよさがより一層よくわかり、小倉がより『粋』なまちに見えるのかなと感じました。

エネルギーが溢れ出ているような、しかし時折見せる冷静な雰囲気は、これまでの人生経験の豊富さを物語っているようでした。自分たちもまだまだ成長していける、何事も経験することが大事であると感じた取材でした。

文:北九州市立大学 地域創生学群2年 田内将貴