第四十二夜のスピーカーは。小倉昭和館(小倉北区魚町4−2−9)館主 樋口智巳さん 演題は「家業としての映画館」でした。

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創業75周年を迎えた老舗映画館「小倉昭和館」。樋口智巳さんは、3年前、父 昭正さんの後を継いで、3代目館主となられた。フィルムの映写機が現役で活躍し、2本立てにこだわる昭和館は、昔懐かしい雰囲気を漂­わせていて、上質の作品を求める根強いファンが今日もここに集う。シネコンが台頭­し、経営は決して楽ではありませんが、この地で映画館を続けていきたいという樋口さん­。3代目館主の思いや、昭和の小倉の大衆芸能事情や、当時の大スターへの思いや 現在の様々な試みや工夫など、たっぷりお聴かせいただけた。

小倉にも多く存在した昭和の映画館や様々な表現の場が、シネコンやアミューズメント取って代わり、が無くなってしまった現在、

樋口さんの昭和館が、生き残っている理由 今後も生き残れるだろう理由がよく解った。それは館主樋口さんが映画をこよなく愛し、映画を通じて人達相互の交流を望み、又感動で人達の幸せを願うという、館主の思いがあるという事。それから様々なイベントを取り入れて、常に映画ファンに情報提供をなさっている。地域のいろんな動きを敏感に捉まえ、反映する。そんな日頃のご努力が合って昭和館が今の存在感を保っているんだな〜と感じました。

昔懐かしい 往年の大スターとの交流の数々をご披露いただいた。

11年に門司区であった、高倉健さんの主演映画「あなたへ」のロケにエキストラとして参加した際、本人と話した縁で手紙のやりとり。文化勲章の受章後にお祝いの手紙を出したところ、「2013年 感謝 高倉健」と刻まれたペンがお礼に届いたという。ファンに楽しんでもらおうと、健さんからの手紙やペンも展示した。樋口さんは「『(映画は)“生きる悲しみ”を希望や勇気に変えることができる力を秘めていることを知りました』という健さんの言葉をかみしめながら、映画を見てほしい」と呼びかけている。女優浅丘ルリ子さんは、樋口さんが幼い頃から銀幕を通して見つめてきた「理想の女性」。父が経営していた映画館「日活館」で、出演作を何度も見て、作品への思い入れを深めたという。

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映画の上映+α イベントの実施

「オールナイト上映」ネオン輝く同館を愛する作家2人が選んだ“怖い映画”の4本立て。「見終えた時の達成感と、客席の一体感を味わって欲しい納涼企画。倉庫で見つけた「本日ナイト」の掲示板をチケット売り場に当日掲げるほか、かつての映画館のようにアイスクリームの売り子も登場させるという。上映作品を選んだのは、小倉昭和館に約20年通う山口県下関市在住の芥川賞作家田中慎弥さんと、怪談小説も手掛ける北九州市小倉南区在住の作家福澤徹三さん 2人のトークも組み入れた。

それぞれの映画の上映に伴い、クロワッサンやドーナツの販売をなさったり、地元のものや反対に地元で手に入らないものの提供。企業や行政関連施設とのコラボレーション 例えば北九州市立文学館との合同企画 西鉄グランドパス65 65名無料招待。身障者支援ショップ「一丁目の元気」との企画。地元旦過市場のお米屋さんとのコラボで新米を配ったり、リノベ祭り前夜に古民家再生の映画を上映したり、原作者の舞台挨拶を組み込んだり、トークや対談をやったり。レディーメリークリスマスの上映の折には、コーヒー昭和館ブレンドを配ったりと 素晴らしい企画力である。

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『小倉昭和館』創設は(以下港町キネマ通りの記事より一部引用させていただきました。)昭和14年。座席数 600席を有する邦画専門の映画館。設立当時は。芝居小屋も兼ねており、全国を巡業する片岡千恵蔵や阪東妻三郎など有名一座が公演。昭和30年代の映画全盛期には館名を“小倉東映”に変更して東映作品の上映を開始。この頃から映画専門になり、近隣の三萩野町に“日活館、“東宝富士館(後の第二東映)”、そして木町に“木町東映”をオープンして活況を呈していた。4館ある劇場の内3館は東映の専門館だったという事から、当時の東映がいかに勢いがあったか想像出来る。正月興行として公開された“仁侠東海道”にはコチラ以外にも他の3館でも上映を行ったところ1日1万人を動員したという記録を打ち出したという。その後、東映から松竹作品の上映館となり、館名を“小倉松竹”に変更している。昭和40年代に入ると、映画も斜陽の時代に入り映画館だけでは経営困難となった『小倉昭和館』は600席あった座席を減らしパチンコ店を併設(現在の『小倉昭和館2』)。新しい娯楽としてパチンコ店は映画館を支える事となるが、時代はますます映画産業を切迫し、小倉にあった映画館も半分が閉館となり、“日活館”、“東宝富士館”も閉館を迎える。その内、パチンコ店も昭和40年代後半には大型店の進出などで低迷するが、ちょうどその時、映画館を救ったのが日活が経営転換して登場した日活ロマンポルノであった。それまでのピンク映画と異なり上質の内容から多くのファンが映画館に戻ってきたのだ。当時は、人気女優の舞台挨拶も頻繁に行なわれ活況を見せていたという。