11月14日に、何と伝統の「大せいもん払い」が復活いたします。

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私達小倉魚町っ子には、大変懐かしい催し物なんです。

 

ここで聞き慣れないこの催し物の由来を調べました。(柴田嘉和さんの資料からいただきました。)

せいもん払いの名称の由来は諸説ありますが、博多のせいもん払いの名づけ親はもちろん八尋利兵衛さんです。八尋さんに聞かなければ真実は分かりませんが、以下せいもんの名称の由来としていい伝えられている説です

1神様への約束
江戸時代に大阪のある呉服屋が夷講(商売の神様といわれるえびす様の感謝祭。)の催しとして始めた、売り出しの名称がルーツといわれています。この大阪の「せいもん」とはもともと「誓文」と書き、本来は神様に約束を書いた文書のことです。大阪では元々恵比寿祭の折に呉服屋の蔵ざらえのせいもん払いを行っていた。

2遊郭の女の人との約束
.昔、遊郭があった時代、遊女にもてたいお客に、「年季が明けたら夫婦になろうね。」などと、遊女はお客にその場限りの神にかけて誓った約束の誓文を渡してはそれを反故(ほご)にするのが常でした。遊女が神にかけてした約束を破った罰があたらないように神様にお願いして払ってもらうことを「誓文払い」といいいました。それに習い、商人が「いつもはお客をだましてばかりいる店ですが(そんなことはありません)、罪滅ぼしで、蛭子様を祀って、正直に掛け値なしにする大安売りをしてます」という意味から「誓文払い」と名づけた売出しをはじめたという説があります。(博多では誓文払いの時に恵比寿様を祀ることはしていません。)
兵庫県の三田市の誓文は.殿様との約束
兵庫県三田市imageでも誓文払いをしていますが、この誓文払いの由来は、江戸時代に殿様から商人は暴利をむさぼっていると言われ誓文を書かされたことに始まったと言われています。

.博多のせいもん払いは、戦後数年後までは「誓文晴れ」と言っていたそうで、これは夷祭のずっと後で行われたので、すでに誓文払いは終わっているという意味で「誓文晴れ」といったのではないかと私は推理しているのですが、大阪の蛭子祭と時期が違うのにそのまま「せいもん払い」と言うのをはばかったのではないかとも考えられます。

戦後のせいもん払い復活1号は新天町
昭和21年に創業した新天町には博多がルーツのお店が多かったので創業の年に戦争で途絶えていたせいもん払いを復活しました。名称は「大せいもん」。
そのころ戦前の誓文をご存じの長老に聞くと「せいもん払い」のことを「誓文晴れ(せいもんばれ)」と呼んでいたそうです。
現在は商工会議所の申し合わせで、「せいもん払い」に統一されています。

文責 柴田嘉和