WeLove小倉夜会 第四十一夜は、建築家の古森弘一さんでした。
先々週 小倉南区のドトールコーヒーで休憩に入ったら、そこに居たのが古森さん。(古森さんアンラッキー(笑))
一杯のコーヒーで、北九州の建築の素晴らしさを熱く語っていただきました。それを知る北九州市民は意外と少ない。夜会で皆さんに聴いていただきたいと思い、翌日相談の電話したら快く受けていただき、今回と相成りました。古森さんとは、茶道の同じ社中でしたし、何度かお茶会も共にさせていただいた思い出があります。この近隣には僕も大好きな彼の作品が多くあります。
「建築ミュージアム北九州」
北九州には我々の教科書に載っている建築家の作品だけでも50程度残っている。今でもこれらの建築を観るために、多くの専門家は北九州を訪れる。しかし、このように北九州が「建築ミュージアム」であることは、意外と市民には知られていない。これらの建築をひも解きながら「何故、その時代を代表する有名建築家が招聘されたのか?」「何故それらの建築群が現代まで残っているのか?」をお話しいただいた。
辰野金吾 村野藤吾 清家清 磯崎新など日本現代建築の巨匠達 アントニン レイモンドやアルド ロッシやジョン ジャディーに至るまでその方達の歴史や功績。西日本工業倶楽部から始まり 北九州国際会議場や北九州市立美術館など、「他都市には無い 実は凄い北九州市」の31作品を紹介いただいた。
冊子「DETAIL IN KITAKYUSHU」 企画 編集の折、気付いた事分析した事。以下。
北九州の近現代建築は、門司 若松 八幡 戸畑とエリア的時間的に推移し、戦後は小倉に集中。一カ所に集中している他の東京などの「建築都市」とは、明らかに違う。東京丸の内はこれまた凄い建築の中心があったが、北九州にはなかった。移動した。
建築は残る条件に「貧しさ」がある。ずーっと栄えている所には建築は残らない。北九州市の各区は、それぞれの区が順番に栄えて行ったし、それぞれ栄え方が尋常じゃなかった。若松にしろ門司にしろ〜。それが残った理由。
それから全国に名立たる建築家を呼べる財力が北九州市にはあった。彼らは、普通そこそこ栄えたくらじゃ呼べる建築家ではない。名建築は立つときは、細かな予算の話は出てこない。予算は、後回しになる。それほど当時の市長や行政の担当者 民間企業は凄かった。
課題。これからそれに匹敵する建築ができるのか?これからの北九州市の建築を考えるに寝れなくなる程プレッシャを感じる。同時にこれだけの素晴らしい建築を残していけるのか?という課題がある。だから建築家の自分達だけでなく、街の人達や行政の人達 この三者ががしっかりと解り合う必要がある。
古森弘一さん
北九州を拠点とし建築の設計。九州大学芸術工学部・九州工業大学工学部非常勤講師。近年、どうすれば建築の価値が長い時間維持できるか模索中。 住宅、宗教施設、重要文化財、医療施設、福祉施設の設計等。