村上さんは現在、よしもとクリエイティブ・エイジェンシーのエグゼティブプロデューサーとして多忙の日々を送っている。「プロデューサー」と一口に言っても具体的にどのようなお仕事なのか知らない人も多いのではないだろうか。お聞きすると、「お店で扱われている食料や衣類といった商品があるように、プロデュースするということは芸人やミュージシャンという商品をどのように売り出していくか考える仕事」と答えてくださった。村上さんはよしもとの新喜劇の他に、大阪パフォーマンスドールやエレキハチマキなどのプロデュースを手がけ、なんと映画のプロデュースにも携わったこともあるそうだ。

 

そんな村上さん、どのような経緯でこのプロデューサーのお仕事をするに至ったのだろうか?そもそも、村上さんは福岡の広告代理店で働いており一時期大阪で暮らしていた。大阪のテレビでよしもとなどの芸人さんを見かける機会はとても多くかったそうだ。当時の吉本興業の社長である大崎さんから声をかけてもらい、中途採用という形で今のプロデューサー職を始めることになったと答えてくださった。東野幸治さんや今田耕司さんなどのそうそうたるメンツとの関わりもあったそうだ。

 

村上さんは小倉駅北口にある「あるあるYY劇場」のプロデュースも務めている。あるあるYY劇場は吉本興業が運営している劇場で、連日よしもとの芸人さんや地元アイドルなどのステージで賑わっている。私も度々あるあるcityを訪れるが、芸人さんたちが館内入口でライブをしているのを見かけることが多々ある。このあるあるYY劇場、今年で開館3周年を迎えている。開館初年は深夜帯で「あるあるYYテレビ」という番組の放送、2年目はラジオ放送、3年目となる今年はニコニコ生放送と様々なメディアに進出し、今後更なる盛り上がりを見せていくことだろう。これからのビジョンとしては、「まちの人が気軽に来られる劇場を目指していきたい」と言ってくださった。

 

様々なプロデュース活動をこなす村上さん、学生時代にはMGP(みんなで頑張ろうプロジェクト)のプランニングを務め、なんと会員人数は300人を超えたという。学生時代からプロデューサーとしての敏腕をふるっていた様子が、お話を聞く中でひしひしと伝わってきたように感じた。

 

村上さんにとって「小倉」とは、まず故郷でありエンターテイメントに厳しいまち。映画のまちと呼ばれるほどロケーションに適した場所がたくさんあり、まちづくりに老若男女関わらずに熱くなっていける場所と答えてくださった。小倉のまちにエンターテイメントという刺激を与えていく村上さんの今後の活動から目が離せなさそうだ。