小倉今昔寫眞館
「小倉時代の森鷗外」
明治の文豪である森鷗外(本名:森林太郎)は、1899(明治32)年6月19日から1902(明治35)年3月26日までの約2年10ヶ月を陸軍第十二師団軍医部長として小倉で過ごしました。 軍務に精励する傍らで文筆活動や講演活 […]
「電車は路面を走るもの」
西鉄北九州線の前身である九州電気軌道株式会社が設立されたのは、日露戦争が終結して3年後の明治41(1908)年のことでした。明治44(1911)年6月に現在の門司区東本町から八幡東区大蔵までの18kmの区間で路面電車の運 […]
旧「小倉日活ホテル」
1962(昭和37)年に開業した旧小倉日活ホテルは、映画会社の日活が経営する宿泊施設でした。和室・洋室が計100室、大・小宴会場が10会場、その他に結婚式場や大食堂などがあり、当時としては西日本一の最新設備を誇っていました。
旧かねやす百貨店新館と防空監視哨
魚町銀天街にあるワシントンビルは、かねやす百貨店の新館として1936(昭和11)年に竣工しました。当時の小倉市街で随一の高層階を誇る建造物でした。 戦時中の1942(昭和17)年に米軍による都市空襲に備えて、この建物の屋 […]
昭和28年の「西日本大水害」
昭和12(1937)年に砂津から到津へと通じる十三間道路(現在の国道3号線)の開通に伴って貴船橋が掛け換えられました。当時の新聞報道によりますと工費は10万円、昭和11(1936)年度から12(1937)年度にかけて建設 […]
「小倉陸軍造兵廠」跡地
1933(昭和8)年に開設された小倉陸軍造兵廠は、西日本最大級の兵器工場でした。現在の北九州市立中央図書館のところに本部事務所があり、大手町一帯を中心に敷地面積約17万6,000坪(ヤフオクドーム4個分)という大規模なも […]
西鉄魚町電停とその周辺
魚町電停は、西鉄の前身である九州電気軌道株式会社によって1911(明示44)年6月5日に東本町(門司) から大蔵川(八幡) に至る全長18.1kmの区間が開通したことにより開業されました。当時の魚町電停付近には、銀行や商 […]